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08 コーチはどんな人?の最近のブログ記事

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★杉村大介(スギムラダイスケ):スクール代表。四日市校、鈴鹿校(木曜)、大府校(火曜)担当。

「私がコーチになった理由...」

私はプロサッカー選手に憧れていました。

中学のころトレセンにも選ばれたし、インターハイ、選手権にも出場し、プロ契約を目指しブラジルにもいきました。

でも、プロにはなれませんでした...。

そして、プレーを引退したころに思ったのですが、テニスやフィギアスケートなどの個人競技には専属のコーチがついていて、ふと、うらやましく感じたのです。


夢を追いかけることはいろんなことに悩み、挫折を味わいます。


そんなときにいろんな話を聞いてくれて、客観的に受け止めてくれる人がそばにいたら心強いし、気づきを得れるかもしれません。

もし自分がプレーしていたころに、もしそういう人がいたら...


そんな存在になろうと思いました。


なので、「指揮官」としてのイメージが強い、監督という立場にはあまり興味がありません。

夢を追いかける人と一緒に走りたいのです。


以下、簡単なプロフィールです。 
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愛知県名古屋市出身の1975年4月13生まれ。「キャプテン翼」に憧れて小学校3年時にサッカーにはまり、ドリブルが大好きなサッカー少年となる。

中学は学校にサッカー部がなかった為、毎日ジャージでJRに乗りこみ三河地区にあるクラブチームに通う。

高校は中京高校(現中京大中京)に入学し、中学の時のクラブチームでは考えられなかった縦社会を経験しながら、めげずにすくすくと成長。インターハイ、全国高校サッカー選手権に出場。

その後は愛知学院大学へ進学するが、三浦カズ選手に憧れて2年時には休学し1年間フットボールの国ブラジルへサッカー留学。

フットボールが人々の生活の一部であり、いつもいい加減で楽観的なブラジル人。美しい海、すべてを陽気にさせる太陽、国全体がお祭りであるサンバ...。そんなブラジルでこのまま生活してみたいなと思ったこともあったが踏みとどまり、帰国後には大学に復学し2年間主将を務める。

大学卒業後はフットボールが自分の人生の原点であり、他の人よりも

フットボールを通じて人々に何かを伝える、与える...

ことができるのではないかと勘違いし、フットサル施設・スクールを運営する会社に就職。
その後独立し東海地区でフットサルスクールを立ち上げ、現在に至る。

>>>コーチの考えている事を知りたい方はこちらのページへ


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★永谷隆行(ナガヤタカユキ):桑名校、大府校(木曜)担当。

1985年5月8日生まれ。愛知県名古屋市出身。
小学校1年よりサッカーを始めて中学、高校とサッカー部に所属し、毎日サッカーに明け暮れる。
大学に入るとスポーツ経営学を学ぶかたわらサッカー部の主将を2年間務め、現在までのサッカー指導暦5年の間にキャンプインストラクター、スキーインストラクターとしても活動。子供対象のツアーやイベントを数多くこなし2000人以上の子供と接する。

...まだ私が小学生だったころの話です。

私は学校のサッカー部に所属していましたが、監督は野球部の監督を兼任し、野球一筋の人でした。
普段の練習もミニゲームばかりでアドバイスなど何もありませんでした。

あの当時はサッカーができるだけで楽かったので毎日友達とボールを蹴り、試合ばかりしていました。

でも今思うと、もっといろいろ教えてほしかったなぁと思います。

小学生の時期が技術が一番伸びる時です。
そんな時期に最適なトレーニングができる環境が身近にあったら最高ですよね。

自分がその環境を作ろう!作りたい!と強く思い私はコーチになりました。

永谷コーチからみんなへ...

ミスを恐れるな!

たくさん失敗してもOK!

その失敗にはみんながうまくなるためのヒントがある!!

大事なのはなぜ失敗したか考え、次に活かすこと!  


 

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★大島裕樹(オオシマヒロキ):大府校(小学生水曜・中学生)、岩倉校(幼児、小学生)

自分は夢や目標を見つけられませんでした。

なんとなく大学へ進学、なんとなく就職し、社会へ出て初めて世間の厳しさを思い知
り、辛い思いをしました。

そんな不本意な状況に立っているのは自分のそれまで行いの積み重ねの結果で
自分は面倒な事や困難から逃げてきたんだと感じ、深い後悔の念から「このままじゃいけない」と心で叫んでいました。

しかし過去は変えられません。...できる事を精一杯やるしかない。

それからは好きとか嫌いとかそんな気持ちは捨てて、困難でも自分の成長の為になる
事を選択していこうと決めました。

自分の大好きな、そして学ぶ事を教えてくれたフットボールと関わる事ができ、人を
育て、社会に貢献できる点にやり甲斐を感じて「指導者」を志したのです。

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愛知県名古屋市で1979年5月22日に末っ子長男として生まれる。

幼少期は動物・恐竜図鑑などを飽きもせずに観たり、工作やミニカー集めに没頭。
引っ込み思案であったが毎年クラスNO,1の運動神経で勘違いし負けず嫌いに。

中学ではサッカー部が無かったがJリーグ発足で湧く時代にのっかるように親友に誘
われて公園でストリートサッカーを始める。

指導者のいない環境でどうしたら効率良く技術習得をするかを常に考え練習し、スピードを活かしたド
リブルとシュートを得意とした。

高校ではサッカー部に入るものの独立心が旺盛すぎて管理教育に疑問を持ちサッカー
から遠ざかり、高校中退も考えるがなんとか踏みとどまり卒業。

大学時代にフットサルという競技を知って以来続けるが当時は「趣味と仕事は別物」
と考え一般企業に就職し販売、営業、事務職を経験する。

しかし、研究熱心が高じて日本サッカー協会公認ライセンスを取り指導者の道に。

2009年3月には日本初となる日本サッカー協会公認フットサル指導者ライセンスを愛知
県第一号として取得。

トライ&エラーを地で行く本人はフットボールを通じて、
「自分の努力を信じる強い心、やる気次第で未来は自分で変えられる」

という信念を持つ。


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★原田哲次(はらだてつじ):四日市校(水曜・木曜)、鈴鹿校(火曜)担当。

【プロフィール】
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1977年7月21日生まれ 三重県四日市市出身。

幼少の頃から野球が好きだったが、小学校に野球少年団が無かったため3年生からサッカー少年団に入り、我がサッカー人生が始まる。

中学、高校とサッカー 部に入部。高2、3年には生徒会長を務め、生徒会中心に結成された野球部応援団の団長も務め、高3の春に念願の甲子園に(応援で)出場!本職のサッカー部では入学当初はMF、高1の冬からGKとしてプレーする。

「教え子を日本代表へ」ということを夢に持ち、高校卒業後お世話になった少年団から指導を始め、子ども達の良きお兄さん的な存在として時には熱く、時には厳しく、流した涙は数知れず、これまで13年の指導人生を送る。

最近は、改めてフットボールの楽しさに気付き、暇を見つけては各地の競技場へサッカー観戦に足を運んでいる。  
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僕は今でこそサッカーが大好きですが、始めた頃は正直サッカーが好きではありませんでした。

幼少の頃は体が弱く、体を強くするためにという理由で当時小学校に唯一あったサッカー少年団に小3で入部しました。

5年生のときまで「サッカーは小学校まで」と思っていたので、それまでの思い出は特に残っていないのですが、6年生のときに僕のサッカー人生を変える出来事が起こるのです。

それは、春の遠征に行ったときの事です。

当時、僕は控えの選手でしたが、その遠征にレギュラーであるフォワードの選手が風邪で休んだことで僕がかわりに出ることになりました。

今までフォワードをやったことはなかったのですが、その試合でなんと2ゴールを上げる活躍をし、それからスタメンを勝ち取ることができたのです!

それからサッカーが不思議と楽しくなり1年間必死に頑張りました。

中学校に入学し、野球部の入部も考えましたが、あの出来事が自分の中のサッカーに対する気持ちを奮いたたせてくれて、結局サッカー部に入部しました。

些細な事かも知れませんが、あの時にコーチに褒められた事がとても嬉しく、『頑張ってきて良かったな』と声をかけられたことが、いまだに忘れられません...。

「継続は力なり」という言葉がありますが、続けていれば必ずそれが実を結ぶことがあると思います。

僕はこれからもその言葉を信じ、子ども達にも継続する手助けが出来るように努力し頑張っていきます。

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